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    2017'10.10 (Tue)

    母を看取る

    昨日ー
    母が午後2時45分に息を引き取りました。
    95歳、来月96歳になるはずでした。

    老衰で食物も水も摂ることが出来なくなり、
    本人の延命処置は一切しないで欲しいとの希望で入院はせず、
    施設の自分の部屋で穏やかに最後を迎えました。

    肺炎を繰り返しては、回復して生還するという強健な母でしたが、
    最後は、眠るように本当に穏やかな最期でした。
    死に顔も、とても綺麗で安らかです。

    この世に最愛の母がいなくなるなんて…、
    最も深い悲しみの中、道を迷ってさ迷う赤子の気分です。

    「母」は偉大ですね。
    大地のごとく、全てを包み込むような存在で
    広くて温かくて、
    疲れた心を解き放ち、自由な自分になれる拠り所…


    心配ばかりかけた親不孝者の私
    親元を遠く離れた所に嫁いだことを幾度と悔やんだことも
    体調を崩した年老いた母を引き取りたいとの申し出も
    簡単に断られた。

    犬猫、
    特に病気の子の看病が始まってからは、母に会う回数も減ってしまい、
    寂しい思いをさせてしまった…


    今日は、我孫子市まで子猫の譲渡があり、
    母の所へは、明日行く予定でした。
    でも、今朝急変したとの連絡で、
    譲渡後、最寄りの駅から母の元へ電車で乗り継いだ。

    私が着いたときは、意識は朦朧としつつも
    声かけに目を開いてくれた。
    きっと私だと分かってくれたと思っている。
    良かった、間に合って…

    安定していたかのようだったので
    身内は、用事を済ませに席を外し、
    私だけ母のそばにいて、頭を撫でながら、一方的に話をしていた。

    またもや急変したのが、皆がいなくなってから10分後くらい
    呼吸が最期のし方になった。

    すでに体に送られる酸素濃度も低く危険な状態
    最期の呼吸は、大きく口を開けては閉じるを数回繰り返す。

    その呼吸が始まった瞬間は、私だけだった。
    結局、
    母を看取ったのは、1番遠くに住んでいる私だけだった。
    私は、そっと耳元で「お父さんが迎えに来た?」と囁きました。

    早く父に会いたがっていたので
    不思議と私の気持ちも穏やかです。

    頑張って長生きしてくれた母に感謝しています。
    お母さん、ありがとう。。。
    元気なうちに、母にどうしても聞きたい事が聞けなかった…。


    戦時中に出産、育児をし、
    想像の出来ない大変な時期を生き抜いてきた母に、

    「今までで 1番楽しかったことは何?」と問うたら
    何と答えたのかしら…

    その答えが聞きたかった…



    お母さん、また会えるよ
    しばらくのお別れね。。。







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