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    2014'03.11 (Tue)

    東日本大震災から3年。。。

      東日本大震災から11日で3年を迎えた

     

      今日のyahooニュースから
     
      津波で決死の誘導しながらも津波にのまれた阿部健一さんへの
      ご両親の思いが綴られています。
      
      同じ息子を持つ親として、涙があふれました・・・。



     ◇福島県相馬市…阿部新太郎さん(73)、妻洋子さん(67)


      長男の健一へ。
     
      高校を中退し、父ちゃんと同じ漁師になったお前の腕はピカイチだった。
      20年かけ「親子船」の借金3000万円を払い終えた直後に、
      嫁と娘2人を残して津波にのまれ、まだ39歳で無念だったろう。

      今は仮設住宅で暮らす父ちゃんも母ちゃんも、
      壁に飾ったお前の消防団の法被を見上げては、悲しみをかみころしてる。
      原発事故でダメになった漁が将来再開されても、やり直す気力がわかねえ。
      でもな、父ちゃんと母ちゃんが震災後も生きてこられたのは、健一のおかげなんだ。

      消防団の副分団長として、お前は津波に襲われるまで避難を呼びかけ、
      多くの命を救った。
      「健ちゃんが『逃げろ』って怒鳴ったから逃げた」という人が大勢いる。
      震災直後は停電で、防災行政無線はうんともすんともいわねがったし、
      消防団が「命を救うとりで」だったんだ。 
      父ちゃんたちは、お前が救った人たちに感謝され、支えられているぞ。

      健一は、生まれた日のこと、知らないべ。家の田んぼは水はけ悪くて、
      秋になっても泥沼でなあ。
      母ちゃんは「子が冷える」って心配しながらも懸命に稲刈りしてた。
      そのうち産気づいて、産婆がお前を取り上げでくれだ。
      「健やかに育って」。そんな願いを託して名付けたのは母ちゃんだ。  

      母ちゃんが今思い出すのは、お前が小さいころのことだそうだ。
      「朝の暗いうちから夕方まで浜の仕事で、健一と遊んでやれなかった。ごめんな」って。
      毎日漁に出てた父ちゃんもそうだ。
      だから、「早ぐ漁師になりてえ」と高校2年で退学したとき、
      親を助けようと思ったんだって涙があふれた。

      暮らしていた地区で津波にのまれた消防団員は9人もいた。
      副分団長が代々受け継いできた法被姿で健一が見つかったのは、
      2週間後で8人目、最後は分団長だった。仲間が見つかるのを待ってたんかな。
      お前の顔は、きれいで、表情は誇りに満ちていた。
     
      人間は助け合って生きるもんだと、命を張って教えてくれたんだ。
      若い団員が「健一さんの遺志を語り継ぐため、辞めません」と言ってくれたぞ。

      お前の娘は高校生と中学生になった。
      震災後はふさぎ込んでいたが、今では勉強とバレーボールに熱中することで
      悲しみを乗り越えようとしている。嫁も気丈に振る舞ってる。
      父ちゃんたちの隣に住んで、母ちゃんも手助けしてっから、安心していてけろ。

      健一。父ちゃんと母ちゃんは3年たっても時間が止まったまんまだ。
      つらいけど、ありがとう。





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